調査役から一言

アニメとか闘病記とかTOEICとか

【膵臓腫瘍(SPN)】嫁さんの膵臓に腫瘍が見つかった(その②:手術直前~合併症まで)

2019年末に受けた人間ドックで嫁さんの膵臓に腫瘍が見つかった。

(その②:手術直前から合併症まで)

自分自身の整理のため、あと配偶者の立場から見た状況を書くので、同じ境遇の人の何かしらの参考になればと思う。

病名は「SPN:Solid pseudopapillary neoplasmである。日本語名は無いっぽい。比較的若い女性に出来やすいそこそこレアな病気らしい。悪性率は低く、今のところ良性とは言われている。痛みなどの自覚症状は無し。

 

前回記事はこちら↓

takerururu.hatenablog.com

 

小説でもないので先に結論を言ってしまうと、予定した手術は無事に終わるが1週間後に合併症を発症し緊急手術実施。いまは容体も安定しているので、ある程度本記事もポップに書こうかとは思うのだが、緊急手術当日は生きた心地がしなかった。私は精神的な気持ちの話だが、嫁さんは身体的にギリギリの状態であった。

 

「手術」という行為自体がすでに高リスクである、ということを身に染みて感じた。

 

<目次> 

 

【家族構成】

一応、家族構成を書いておく。一般的な4人家族。全員、今まで大病を患ったことはない*1

  • 俺:アラサーSE
  • 嫁さん:アラサー専業主婦
  • 娘:3歳児。元々なのか幼稚園組だからなのか、おてんばで何も言うことを聞かない
  • 息子:0歳児。昼も夜もとにかく泣く。離れると泣く。かと言って抱っこすると肩を噛んでくる。んで下ろすと泣く。

 

【ざっくり時系列】

 

2020/6上旬(入院、手術前説明)

手術の病院・術式・日程が無事に決まり、入院は手術前日ということで準備に入る。病室はWiFiがなく、自由に外出もできないということなので、嫁さんは暇つぶしの本の買い出しやアニメのダウンロードを事前にしていた。

入院手続きをし、そのあとセンター長から手術内容の説明を受ける。以下の通り。

  • 腹腔鏡による脾臓温存の膵体尾部切除を行う。
  • 手術は翌日の朝9時から約3~4時間。
  • 最初の1時間は麻酔が効くのを待ち、手術自体は2時間。手こずっても3時間。
  • ICU家族控室というのがあるので、旦那さんは手術中そこにいてもよい。病院内で使える内線を渡しておくので、常に連絡が取れる状態にしておいて。手術終了時には内線で連絡。
  • 奥さんとは手術後に面会はできるが、その後はコロナ禍により面会はNG。
  • 次に会えるのは退院時。入院期間は約1週間。合併症が起きた場合は、さらに数週間。
  • 腹腔鏡なのでお腹の傷の治りは早い。個人差はあるが、退院して数日経てば赤ちゃんの抱っこくらいはできるはず。

とのこと。家から病院まで、高速道路を使っても車で1時間かかるのと、明日の手術日の朝が早いので、私は病院近くのホテルで1泊。これで明日寝坊とかしたら一生文句を言われ続けそうなので、早めにベッドに入るもなかなか寝付けず。嫁さんもほとんど寝れなかったとのこと。まぁそうだろう、お互いこういうの初めてだし。

また、手術中の時間つぶしのために近くの本屋に行った。久々にNewtonでも読もうと思ったが、今月号のテーマは「死とは何か」であり、表紙にも思いっきりそう書いている。他のご家族もいる控室でこれを読む勇気は無かったので、隣に置いてあったNewton増刊「無とは何か」を買った。まぁ、これで良いか。。。*2

 

2020/6上旬(手術当日)

朝、無事に時間通り病院に着き、嫁さんと再会。励ましの言葉を掛けつつ、嫁さんを見送る。看護師さんから内線をもらい、ICU家族控室へ。他の家族も3組ぐらいいて微妙な緊張感が漂っている。複数人で来ている家族も口数は少ない。

私はNewton増刊号を手に取り読み始めたのだが、「60分でわかるシリーズ」であったため、文字通り1時間で読了。あと2~3時間どうしよう。嫁さんが手術中とのことで、最初は私も緊張の面持ちであったものの、そんなに緊張が持つはずもなく、結局のところ、病院内の食堂に行ったり、Yahooニュース見たりで時間を潰した。

12時を過ぎた。手術室に入って3時間が経過したため、順調にいけば終わるはず。

13時を過ぎた。4時間経過。手こずっているのだろうか。ソワソワし始めるが、かと言って緊急事態が起きているのであれば逆に内線で呼ばれているだろう、と思い込むことにして待つ。

14時過ぎ、内線が鳴る。この音で心臓が飛び出るかと思った。おそらく手術室と直結しているのであろう手術説明室に通される。誰もいない部屋の真ん中に小さな机と対面にイスが置かれている。数分後、手術着姿のセンター長が来て説明を受ける。以下の通り。

  • 手術は無事成功。
  • 脾臓も残すことが出来た。
  • 切り落とす予定の膵臓の端が脾臓とくっ付いていて、剥がすのに手間取った。が、キレイに剥がせた。

とのこと。一安心である。センター長も想定以上に手こずったのであろう。切り取った腫瘍の実物を見せてもらった。野球ボールくらいの大きさであった。もはや何かの臓器レベルである。

 「腫瘍の写真撮っても良いですか?」

 「良いですよ。あ、ゴム手袋も用意しますね。」

  いやいや、さすがに触らないから。

嫁さんと面会するため、麻酔が切れて意識が戻ってくるのを待つ。約1時間。ここまでくると待ち慣れているので、意識がどっかに行っている間に1時間が経過した。

若い看護師さんに連れられてICU入り口に。入室前に手を洗うのだが、看護師さんが、

 「ここで”お手て”を洗ってください。・・・あっ!やだ!”お手て”って(照)」

  ほっこりした。

ICUは10~15くらいベッドがあるのだが、なんというか、非常に言葉が悪いのだが、ほぼギリギリの状態のジジババがほとんどであった。そんな中嫁さんと再会。ドラマとかで見るような管だらけの体。まだ麻酔も効いているようで、こちらの声掛けにはうなづくくらいしかできなかった。声を掛けすぎると嫁さんの負担になるんじゃないかとも思い、労いの言葉を掛けて退室し、近くのスーパー銭湯に寄って帰宅。

これからは、嫁さん抜きで暴れん坊の子供2人の育児に奮闘する形となる。

 

2020/6中旬(退院予定日前日)

約1週間経過。嫁さんの容体も安定し、リハビリも順調。検査結果から次の日に退院できることに決まる。

 

 本当にここまでは何もかも順調であった。

 

2020/6中旬(退院予定日当日)

嫁さんを迎えに行くため家を出ようとしたときに、嫁さんから電話。

「ごめん、今日退院できなくなった」

朝、強い腹痛があり、医師の見立てでは「胃痙攣」ではないかとのこと。週明けまで様子を見ることになる。胃炎なのかは分からないが、手術や入院などのストレスが原因かなぁと思っていた。

 

2020/6中旬(退院予定日翌日)

この日のことは忘れないと思う。

 

週明けまで入院が延びたということと、私の育児に対するストレスが限界を迎えており、子供に負けないくらいの癇癪を起こしていたため、親たちが気を使ってくれてそれぞれの親に1人ずつ子供を預かってもらうことに。午前中に下の子を私の両親に預け、上の子を嫁さんの両親に預ける時間の30分前、病院の看護師さんから電話が来る。

 「今から病院に来れますか?」

 「??? 2時間以内には行けると思います。」

 「2時間ですか?!・・・担当医に伝えておきます。」

おそらく、看護師さんから伝えられることの範囲が決まっており、詳細を伝えられないものかとは思う。私の危機感も足りなかった点はあるものの、緊急度をもう少し伝えてくれても良かった気もする。ここで学んだことは、病院から「今すぐ」と言われたら、本当に1分1秒でも早く、という意味である。仕事でよく使う「なるはやで」とはわけが違う。

 

30分後、嫁さんの両親が来て、病院から電話が来たことを伝えつつ、子供を預け、病院へと向かう。車を走らせながら、少しずつ、事の重大さに気付いてきた。

わざわざ俺を呼んだ理由はなんだろうか、嫁さん本人ではなく看護師から来たのはなぜだろうか、そういえば2時間掛かることに驚いていた気がする。

一番やばいのは既に緊急事態で危ない状態であること。次点はがん宣告か。マシなのは急を要するわけではないが再手術が必要になったのでその説明、とかもろもろ考えていたところ、再度病院から電話が来た*3。今回は医師からである。要点は以下。

  • 今朝の検査結果から内臓出血が起きている。
  • 動脈出血ではなく静脈出血。
  • 出血部分の特定および対処をする必要があるため、再度手術要。
  • 既に手術の準備を進めている。
  • 旦那さんが間に合わなくても準備出来次第手術して良いか?

十分に緊急事態であることを理解した。準備出来次第手術可ということを伝えて、あとは車をすっ飛ばすのみ。

 

病院に到着後、看護師さんに連れられてICUに入室。一番端っこのベッドを10人くらいの医師と看護師が囲んでおり、物々しい雰囲気になっていた。まさかあそこじゃないよな、と思っているとそのまさかである。再度、管だらけになっている嫁さんと再会。既に麻酔を打っていたのか分からないのだが、こちらが声を掛けても少しうなづく程度しか出来ていなかった。センター長より以下の説明。

  • 昨日と今朝、CTを撮った。
  • 昨日は無かったのだが、今朝のCTでは大腸に血の塊が見える。
  • おそらく、大腸の静脈が傷ついて出血している。
  • 出血部分の大腸を切り取って繋げれば大丈夫。
  • 入院はさらに延びちゃうけど。
  • ただ、腹腔鏡でやりきることは約束できない。状況に応じて開腹する。

今まで膵臓の話をしていたのに、なんで大腸の話になっているんだ、と理解が追い付いていかなかった。が、もはや信じて託すしかなかった。前回の手術で嫁さんがサインしたもろもろの手術同意書について、今回は私が代筆をした。その後、すぐに手術室に向かう。看護師さんから、「手術入室直前まで付き添えるので最後まで声を掛けてあげてください!」と言われ、もうよく分からないまま、がんばれ、と言い続けた。看護師さんたちが、血圧が上がらない、と頻りに言っていたことが印象に残っている。

嫁さんを見送った後、「では後で会いましょう」とセンター長は颯爽と手術室へ向かう。この点、さすがはセンター長である。どっしり構えていて、少しこちらも安心した。

 

前回と同じくICU家族控室に向かう。またここに来ることになるとは。10分くらいしたら携帯が鳴り、別室に来てほしいとのこと。これ以上まだ何かあるのか・・・と思ったのだが、看護師さんより以下の説明。

  • 血圧が上がらない。90以下。
  • そうなると腕の血管が浮き出てこないため管を刺せない。
  • なので、首から刺したい。
  • 刺すのは、「中心静脈カテーテル」。
  • 同意書をよく読んでサインしてほしい。

何か質問あればどうぞ、とのことだったが、正直素人にはよく分からないし、調べる時間も無いので、とりあえずサイン。サインをしたら看護師さんはダッシュで戻っていった。こういう時、代筆者に出来ることは、医師・看護師を信じて、とにかく素早くサインすることだと思う。

この看護師さんに手術時間を聞いたのだが、「麻酔は1時間で区切ると言ってたので、手術自体は3時間くらいだと思うから、4時間くらいですね」と言われた。あー4時間かぁ、とその時は思ったのだが、後々気になったのは麻酔のコメントである。1時間で区切る?一般的に全身麻酔が効くのが1時間と言われているが、もちろん個人差はある。つまり、待ってられない状況なので1時間で区切るということだが、痛みを感じる中での手術とか想像を絶する。麻酔が完全に効いていたことを祈る。

 

ICU家族控室に戻る。時間を潰すものなんて持ってきていないし、むしろ何もする気にもなれない。所在なくイスに座り、時たま何をするでもなくスマホをいじる。2時間くらいたった後、違う部屋に小さなテレビがあることに気付く。こういう時、テレビの効果は絶大で、特におもしろ動画や動物特集があると頭を空っぽにしながら時間が過ぎていくので非常に助かった。

 

嫁さんが手術室に入って約3時間後、内線が鳴った。早い。予定より1時間も早い。何かあったか。電話は看護師長からであった。

 「そろそろ手術が終わりそうなので、説明室まで来てください。」

なぜ今回は看護師長からなのか、といろいろ思うところがあるものの、”手術が終わりそう”と言っていたので、有事では無いだろう、とか考えていた。またしても小さな机がある狭い部屋に入る。前回は数分で医師が来たのに、今回は長い。もうちょっと耐えられなくなってきた。

 

センター長入室。開口一番、「手術は無事終わりました」。私の緊張の糸が一気に緩んだ。以下コメント。

  • やはり大腸の静脈から出血。
  • 1.5リットル出血していたので、輸血もした。(1.4リットルだったかも)
  • 出血していた部分を切除し繋げる手術を実施し、無事成功。
  • 残念ながら腹腔鏡で完結できず、開腹してしまった。わざわざ当院に転院までしてもらったのに申し訳ない。
  • ただ、なぜ出血したのかは合点がいっていない。
  • 胃痙攣は起きていたので、それにより大腸が傷ついてしまったのか、膵液漏*4により大腸の静脈が傷つき胃痙攣を起こしたのか、どっちが先なのかわからない。
  • 長年やっているが、今回のような事象は初めて。
  • 膵臓腫瘍切除で膵液漏になるのは2~3割。その中で内臓出血まで起こるのは更に2~3割。4%くらいの確率。
  • つまるところ、「合併症」が起きた。

開腹は残念だったけれど、とりあえず命には問題なくて本当に良かった。もう1人医師が立ち会っていて、衣装ケースのようなものを持っている。切り取った大腸が入っていた。約30センチ。その一部分に黒い大きな血の塊があった。かなり生々しく、一応写真を撮ったが、嫁さんに聞かれるまで撮ったことは伏せておこう。

 

またしても麻酔切れるの待ち。でも今回の待ちは気分が違う。テレビで動物映像を観てほっこりしていた。看護師さんに連れられてICUへ。(またしても言葉が悪いのだが)相変わらず死にかけのジジババだらけであったが、嫁さんも負けないくらいの顔面蒼白であった。正直、死んでます、と言われても信じたと思う。涙が溢れてきた。前回よりも管が増えている。声掛けしてもゆっくりうなづくのが精いっぱいであった。いくつか言葉を掛けて病院を後にする。

 

今回は何か起きてもすぐに駆け付けられるように病院近くのホテルを待ち時間に予約しておいた。全然寝れない。次に病院から電話が来たら、もう終わりの時だと思ってしまい、ずっと震えていた。かと言ってそれもツラいので、なぜかAmazonPrimeVideoでジャッキー・チェンプロジェクトAを観始め、サモ・ハン・キンポーが出てきたあたりで無事に寝落ちすることができた。頭を空っぽにするにはアクション映画も良いと思った。

 

その後、特に病院から連絡もなく、嫁さんの容体も安定し、3日後にはICUから一般病棟に移った。

 

改めて思うこと

後日、当日の状況を思い返しつつ調べていたのだが、やはり嫁さんは結構ギリギリの状況だったのではないかと思う。ポイントは以下2つ。

  • 1.5リットルの出血
  • 血圧90以下

あくまで私がネットで調べた知識の中で記載するが、人間の循環している血液量は体重の約7%と言われている。嫁さんは50kg弱くらいなので、3.5リットル。出血については30%以上が重症と言われているが、今回は42%くらいの出血となり十分に重症である。また、血圧については、90以下の場合、「ショック」状態になっているとのこと。

つまり、「大腸からの出血多量によるショック状態」であったと思われる。がっつり危険な状態であったと思う。

 

そして、不幸中の幸いだと思っているのが、入院中に合併症になったことである。これが1日遅れていて、退院してしまっていたら、発症時に家で慌てふためき、手術も家から近く事情を知らない別の病院でやっていたかもしれないし、そもそも手遅れになっていた場合だって考えられる。

 

いろいろと紙一重で人間って生きてんだな。

 

 

 

 

【次回】

次回は無事に退院して病理検査の結果とか後日談とかをほんわか書きたい。

 

その③に続く↓

takerururu.hatenablog.com

 

*1:別記事で私の顔面麻痺について書いているが、私的大病はそれ。

*2:ちなみに、Newton次月号は「超ひも理論」であった。こっち読みたかったぁ。

*3:車にハンズフリーフォンを付けていて良かった。。

*4:前回記事で書いたが、膵臓の消化液が手術の切り口から漏れて臓器を傷つけてしまう合併症。膵臓の消化液は臓器の中で一番強い。